叔父のように踊りたかった少女が、隣で踊る日
更新日:5 日前
シルビアと僕 · それぞれの道を歩んだ二人が、コルドバで再びダンスを通して出会った日
生きているその瞬間から、「きっとこの日は、一生忘れないだろう」そう感じる日があります。今日は、まさにそんな一日でした。
シルビアがまだ本当に小さかった頃から、僕たちの間には特別な関係がありました。彼女が生まれ、成長していく姿を見ることができたこと。そして幼い頃から、遠い日本に暮らす叔父の「Beni」をとても慕ってくれていたこと。それは僕にとって、ずっと嬉しいことでした。
僕が日本からスペインへ帰るたび、シルビアは特別な目で僕を見ていました。僕が踊る姿を見つめ、何をしているのか知りたがり、自分もフラメンコを踊りたいと思っていました。
遠い国から時々帰ってきて、踊ることを人生にしている叔父。子どものシルビアにとって、僕は少し不思議な存在だったのかもしれません。そんな彼女の目を見るたびに、僕はたまらなく愛おしい気持ちになりました。でもあの頃の僕たちは、人生がどこへ連れていってくれるのか知る由もありませんでした。

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それぞれが、自分の道を見つけた
シルビアは成長し、ダンスを学び続けました。そしてコルドバのコンセルバトリオに進み、そこで学業を修了しました。一時期は、このままフラメンコに近い道を歩んでいくのだろうと思っていました。
でも芸術のおもしろさは、周りが予想した道へ必ず進むわけではないことです。シルビアは、自分の道を見つけました。彼女の身体は、少しずつ別の言葉を話し始めました。
バチャータ。モダンダンス。そして、シルビアだけの表現。「叔父さんのように踊りたい」と言っていた少女は、少しずつ自分自身の個性を持つアーティストへと成長していったのです。
今では踊りを通して世界を旅し、パートナーとともに舞台やプロジェクトに取り組み、多くの人たちが彼女たちの活動を応援しています。大切な人が自分自身の道を見つけていく姿を見るというのは、なんて幸せなことなんだろう。
子どもの頃は、叔父さんのように踊りたいと思っていたのかもしれません。でも本当に大切だったのは、「シルビアとして踊ること」を彼女自身が見つけたことでした。

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そして今日、二人でスタジオに入った
長い年月が流れました。たくさんの旅をしました。それぞれが、まったく違う道を歩いてきました。そして今日。僕と姪は、初めて一緒にリハーサルスタジオに入りました。
昔を懐かしむためではありません。僕が彼女に何かを教えるためでもありません。彼女が僕に何かを教えるためでもありません。二人で何かを創るためでした。
いつかInstagramやSNSで公開する映像のために、一緒に振付を作ろうと考えていました。でも、そのスタジオの中で起きたことは、完成する映像そのものより僕にとってずっと大切なものになりました。
僕が一つ動きを提案する。シルビアが別の動きで答える。彼女が少し変える。僕にはすぐにその意図が分かる。一つの動きから次の動きが生まれ、一つの感覚が別の感覚を呼び起こしていきました。
そしてある瞬間、僕は気づきました。僕たちは、ちゃんと分かり合えている。叔父と姪としてだけではありません。アーティスト同士として。
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違う二つの言葉で、一つの会話をする
僕は人生のほとんどをフラメンコの中で生きてきました。シルビアは、今の自分のダンスを別のジャンルから育ててきました。僕たちの身体が学んできたものは違います。経験も違う。世代も違う。歩いてきた道も違います。
ところが、一緒に作品を作り始めてみると、その違いは障害ではありませんでした。むしろ、それこそが面白さでした。僕のフラメンコが彼女の身体と出会う。彼女の動きが僕の身体と出会う。
「これは誰のスタイルなのか」と決める必要などありませんでした。ただ、二人で創っていました。
でも今日はもう、その少女は僕の後ろにはいませんでした。僕の隣にいました。
長い間、僕は「いつかこんなふうに踊りたい」とシルビアから見られる叔父でした。でも今日、スタジオに入って分かったのです。もう彼女は僕の足跡を追いかけているのではありません。自分自身の足跡を、僕の足跡の隣に刻んでいました。
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そして、コルドバへ
スタジオでの作業を終えたあと、僕たちは撮影に出ました。場所は、もちろんコルドバ。街を歩きながら、映像を撮る場所、光、風景、空間を探していきました。
でも僕にとって、それはもう単に「きれいな動画を撮る」ための時間ではありませんでした。一つ一つの動きに、別の意味がありました。姪と踊っている。僕たちの故郷で。家族の歴史がある街で。
同じ家族に生まれながら、まったく違う芸術の道を歩んできた二人が、再び出会う。その間にあるのは、おそらく僕たちが一番深く共有しているもの。芸術でした。
撮影しながら、僕は一秒一秒を味わおうとしていました。コルドバを味わう。幸せを味わう。動きを味わう。シルビアの視線を味わう。姪が僕に渡してくれる一つ一つの仕草を味わう。
人生が驚くほど早く過ぎていくことを知っているからです。そしていつか、何年も経ったあとにあの映像を見返せば、今日の僕たちを思い出すことができるでしょう。

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一生残るもの
僕たちは時々、Instagramに載せるために動画を撮ります。投稿。再生回数。誰かの画面の中を数秒で流れていくもの。でも、この映像は僕にとってそれだけではありません。思い出です。
10年後。20年後。あるいは30年後。僕たちは映像を見ながら、こう言えるかもしれません。「この日、二人でコルドバにいて、これを創ったね。」
身体は変わっているでしょう。振付をどう作ったのか、細かなことは忘れているかもしれません。スタジオでどんな会話をしたのかも、いつか曖昧になるでしょう。でも、その時に感じたものだけは忘れたくありません。
あの日、僕は姪と動画を撮っているだけではありませんでした。コルドバの中に、二人の小さな一部分を残しているような気がしたのです。いつでも、そこへ戻れるように。
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本当の贈り物
今回のスペイン滞在は、計画することのできなかったたくさんの時間を僕に与えてくれています。再会。家族。会話。息子が自分のルーツに触れていく姿。忘れていた場所。そして、もう一度僕の人生に現れる人たち。
今日、そこにもう一つの贈り物が加わりました。姪と、アーティストとして出会えたこと。
僕を憧れの目で見ていた少女。叔父のBeniのようにフラメンコを踊りたかった少女。成長し、学び、探し、方向を変え、自分自身の世界を築いた少女。今日、彼女は僕の目の前にいました。
もう子どもではありません。僕の真似をしようとする人でもありません。自分のアイデア、自分の動き、自分の感性を僕に与えてくれる、一人の女性であり、一人のアーティストとして。

そして僕は思います。人生を芸術に捧げてきた人間にとって、これほど大きな喜びがあるでしょうか。かつて自分を目標として見てくれていた人が、いつか自分自身が学びたいと思える人へと成長する。
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シルビア
今日は、本当に胸がいっぱいです。ただスペインで過ごした一日ではありません。ただコルドバにいた一日でもありません。
僕が人生で何よりも愛しているもの――芸術。その芸術を、初めて姪と一緒に育てることができた日でした。
踊りながら、不思議なくらいすべてがあるべき場所にあるように感じました。彼女には彼女の道。僕には僕の道。そして数時間だけ、その二つの道が一つになりました。
今日僕が味わったのは、コルドバだけではありません。幸せと、芸術と、姪が僕にくれた一つ一つの動きを味わいました。この記憶は、もうずっと僕たちのものです。
AlitaDePollo

また素敵な出来事と物語を読んで感動しました🙏❤️
素晴らしい瞬間の宝物🥰✨