夢を追って海を越えた少女は、いつしか私たちの家族になっていた
日本で交わした最初の抱擁から、コルドバでの再会まで
人生には、あまりにも思いがけない形で現れ、何年も経ってから振り返ったときに「すべてはこんな偶然から始まったのか」と不思議に思う人がいます。
この物語は、何年も前、面識のなかった一人のお父さんから届いたメッセージから始まりました。
その方は、小さな娘イレネがフラメンコ舞踊を心から愛していること、そして家族で日本を訪れる予定があり、その旅の中で彼女がどうしても叶えたい願いのひとつが、YouTubeでずっと見ていた踊り手に会うことだと教えてくれました。
その踊り手が、私でした。
最初にメッセージを読んだとき、正直、冗談なのではないかと思いました。遠い日本まで来て、画面越しにしか見たことのない私に会いたいと思ってくれている少女がいる。そのことが、なかなか現実として信じられなかったのです。
これまでにも、楽しみにしていた約束が直前になってなくなってしまった経験が何度もありました。だから日時と場所が決まってからも、心のどこかで「もしかしたら来ないかもしれない」と思っていました。

赤羽岩淵で、イレネが現れた日
あの日のことは、今でもはっきり覚えています。
「もう赤羽岩淵駅に着きました」という連絡を受け、私は駅の出口へ向かって歩きました。
遠くから、一組の家族がこちらへ歩いてくるのが見えました。父親、母親、息子さん、そして金色の髪をした小さな女の子。
その瞬間、イレネが私に気づきました。
表情が一気に変わり、私のほうへ走ってきました。目には涙が浮かんでいました。その涙は、今思い出しても、小さな星が頬を伝って落ちていくように見えます。
そして私のところまで来る直前、彼女は勢いよく飛びつき、小さな体でぎゅっと私にしがみつきました。
泣きながら、なかなか離れようとしませんでした。
あのとき私が受け取ったのは、有名人に向けられた憧れではありませんでした。大好きなものに対する、子どものまっすぐな気持ちそのものだったのだと思います。
そして私は、その抱擁を受け取ることができた。そのことを今でも幸せに思っています。
ここからすべてが始まりました。フラメンコを夢見ていた一人の少女、日本での出会い、そして年月が経っても消えることのなかった抱擁です。

あの日のあとにも、何度も再会しました
誰も想像していなかったのは、この物語が一枚の写真と別れだけでは終わらなかったことです。
その後、私たちはまた会いました。そしてまた、その次も。年月は静かに流れていきました。
イレネは成長し、幼い頃に抱いていたフラメンコへの気持ちは消えるどころか、彼女自身と一緒に深まり、やがて人生の大切な一部になっていきました。
そして私たちの関係も変わっていきました。YouTubeで踊り手を見ていた少女の家族と、その少女が会いたいと思っていた踊り手、という関係ではなくなっていったのです。
少しずつ、もっと大切なものが生まれていました。家族同士の愛情です。
ご両親は、もう「知り合い」ではありません。会って、話して、笑って、ときには心配事も分かち合いながら、長い時間を重ねてきました。今では、もうひとつの家族のように感じています。
イレネの歩みの後ろには、家族の存在がある
若い人が芸術の世界で歩んでいく姿を見るとき、私たちはつい表に見えるものだけを見てしまいます。舞台、踊り、写真、作品、華やかな瞬間。
でも、その一歩一歩の後ろには家族がいます。
一緒に行動し、予定を組み、旅をし、待ち、励まし、守り、道が難しくなったときにも歩みを止めない家族。
家族にしか分からないことや、外から語るべきではないことに私は踏み込みたくありません。
ただ、長い年月を見てきた者として、ひとつだけ言えることがあります。イレネの歩みの後ろには、とても大きな愛があります。
芸術の世界で自分の目指す場所まで進むことは簡単ではありません。その過程で家族の絆を守り、娘の歩みに寄り添い続けることには、さらに大きな価値があると私は感じています。
そして今度は、コルドバで
そして今回、私たちはコルドバで再会しました。
また一緒に過ごす時間。でも、あの頃とは多くのことが変わっていました。
あの小さな少女は、もう子どもではありません。そして今回は、私の隣に息子のテオがいました。
妹夫婦のおかげで、家に集まってゆっくりと過ごすことができました。義弟のホセ・マヌエルは、コルドバらしいパエリア風のお米料理を作ってくれました。香りだけで、誰かが気持ちを込めて料理してくれたことが伝わってくるような一皿でした。
食卓を囲み、食べ、話し、昔のことを思い出し、何時間も笑いました。
でも、今回の旅で何度も感じているように、私のいちばん大きな喜びは、ただ大切な人たちと再会できたことだけではありませんでした。
横を見ると、テオが笑っていたことです。
スペイン語の会話をすべて理解できるわけではありません。それでもその場にいて、私たちの喜びを一緒に感じていました。見て、聞いて、笑って、そして自然にこの物語の中へ入ってきていました。
この旅は、私が想像していなかった形で、別々だった人生の場所をひとつにつなげてくれています。
日本。コルドバ。過去。現在。フラメンコを通して出会った人たち。そして今、私の息子。

二枚の写真の間には、ひとつの人生がある
その日、私たちはまた一緒に写真を撮りました。
今の写真を見たあと、まだ幼かったイレネとの最初の写真を見ると、その二枚の間にどれほど多くのことがあったのか、言葉では簡単に説明できません。
年月は流れました。彼女は成長し、自分の道を歩いています。私も変わりました。家族それぞれの人生も進みました。
それでも、ひとつだけ、最初の場所にそのまま残っているものがあります。あの日から続いている愛情です。
東京の駅で私に向かって走ってきた少女は、もうあの頃の少女ではありません。私もまた、「誰も来ないかもしれない」と思いながら駅へ向かったあの頃の私ではありません。
でも、私たちは今もここにいます。
そして今、その写真の中には私の息子もいます。
もしかすると、人生とはそういうものなのかもしれません。偶然のように現れた人。一日だけで終わると思っていた出来事。それが何年も経ったあと、「あの人はずっと残るためにやって来たのだ」と気づくことがあります。
あの少女は、今もそこにいる
今では、YouTubeを通して私の踊りを見ていたあの少女のことを、ずっとよく知るようになりました。
成長していく姿を見てきました。学び続ける姿も見てきました。フラメンコが、子どもの夢だけではなく、彼女の人生の大切な一部になっていく姿も見てきました。
それでもイレネを見ると、あの日の小さなイレネを感じる瞬間があります。
それが、私はとても嬉しいのです。
舞台や作品や評価がどれほど増えても、大好きなものを前にして、あれほど素直に心を動かすことのできた少女の部分だけは、ずっと消えないでいてほしいと思います。
技術は学べます。体は鍛えられます。動きは何千回でも繰り返せます。
でも、何かを本当に愛することは、それとは別のものです。
あの少女は、もうその頃からそれを持っていました。
そして、練習室で何かが起きました
午後の時間は、もう終わったように思えました。
食事をし、何時間も話し、笑い、私たちの物語の始まりを思い出し、長い年月を経てまた互いの人生を分かち合いました。
でも、別れる前に、もうひとつの出来事がありました。
私たちは練習室の中にいました。
イレネを見ました。テオを見ました。東京のあの駅を思い出しました。そして、そこから流れたすべての年月を思いました。
そして、思っていた以上に私の心を動かす瞬間を一緒に経験しました。
ただ、急いで語らないほうがいい物語があります。ほかの思い出と一緒にしてしまわず、その瞬間だけの場所を与えたほうがいい出来事もあります。
あの練習室で起きたことは、それだけでひとつの章にする価値があります。 つづく… ❤️
AlitaDePollo

今回の再会は、また一段と感動的で、映画のような瞬間ですね🙏✨❤️
最初の出会いから何度も再会して、お互いがフラメンコを一本の糸に、そこに人生のさまざまな糸が撚られて太い糸になって、その糸同士で素晴らしい生地を作り、私たちに見せてくれているようですね。
次の物語を読むのが楽しみです🙏✨
素敵な物語ですね🥰
一度の出会いではなくずっと続いているんですね❣️
写真もすごくいいですね✨
YouTubeで小さな女の子がファルーカを踊っているのを、なんども見ました。その女の子が、べに先生を大好きなイレネちゃんだと気付いたのは、ずっと後のことでした❤️